『飯盛山』

続きましてベスト2。それは涙なくては語れない悲劇を今に伝える、『飯盛山』。戊辰戦争の時にこの山で自刃した、十代の少年たちが眠る、寂しい山です。白虎隊。私はこれまた母親からそのお話を小さい頃から聞かされていました。
戸ノ口原の戦いで敗戦した白虎隊が飯盛山から鶴ヶ城(会津若松城)が燃えている場面を目にして、この場で自刃したのです。ところがそれは錯覚で、実際は鶴ヶ城付近の武家屋敷が火災にあっていたと言います。なんと不幸な錯覚でございましょうか。
白虎隊は主に十代の少年が主流となった部隊でして、当初は四十名で組織されましたが、戸ノ口原で銃撃戦となり二十名が戦死、残りの十九名が飯盛山で自刃。飯沼貞雄氏ただ一人が自刃したが傷が浅く、助け出されました。白虎隊の足跡を正確に伝える事ができたのも、彼が命を繋ぎ止めたからに他なりませんね。
飯盛山(314m)は古くは弁天山と称し、会津鎮護だった宗像神社(厳島神社)が鎮座した山でございます。今では会津若松市有数の観光地になっています。



最後にベスト1。これは観光スポットとしてはちょっと異質かもしれませんが、私が心に残る場所という意味で、一番記憶に残る所であります。それは、『安達が原の鬼婆』。
これは怖い所ですよ。ちょっとばかり心して行かなければ大変です。なんて子供じみた事を言ってますが、子供にはキツイ場所かもしれません。
ところで、鬼婆とはどういうものなのでしょうか。日本妖怪博物館には、次のようなお話が残されております。「ある時、供の者と一緒に托鉢行脚の旅をしていた僧が、安達が原で行き暮れて、侘びしい一つ家を尋ねた時のお話です。僧が泊めてくれと頼むと、そこに住んでいた老婆は一夜の宿を提供する。が、夜も更けてあたりが冷え込んできたころ、老婆は焚火のための木を山に取りに行くと言うのですが、寝室の中だけは覗いてはいけないと繰り返し念を押した。層がひょんな好奇心から寝室を覗くと、恐ろしいことに寝室の中は人間の死体が山のように満ち満ち、膿や血や腐肉がぐちゃぐちゃになって悪臭を放っていた。もちろん、二人は逃げ出した。しかし、暫くすると二人の後ろから鬼婆が追って来たのです……」
私がここを訪れたのは、小学校高学年の頃でしたか。そこはどこにでもあるような売店でした。お店のご主人に頼み、鬼婆の話をして下さいと言うと、ご主人は鼻水をすすりながら、売店の隣にある小さな小屋(?)に私たちを案内してくれました。そこには鬼婆が使っていたと思われる食事の道具などが飾られておりました。ご主人はそれらの道具の一つ一つに説明を加えてくれるのです。
幼い私は何故か震えがとまりませんでした。